プロフィール

このサイトは旧ブログサイト「WHAT’S FASHIONABLE..」http://blog.guarda5.mond.jp/ から2016年に移転したものです。

管理人プロフィール

プロフィール(茶色のシャツを着るセルフ画像)

1960年大阪生まれ 天秤座
サイト企画編集人
アンチエイジングな生活習慣を実践中。いつまでも若いつもりでいます。
趣味:映画鑑賞・読書・カラオケ

2021年7月26日 2022年5月19日
身長 173cm 173cm
体重 62.4kg 66.0kg
体脂肪率 19.1% 22.6%
内臓脂肪レベル 7 8
骨格筋率 36.0
BMI 20.8 22.1
基礎代謝 1510 1547
カラダ年齢 41 48

体重が増加して各部位のボリュームが増したのですが、カラダ年齢がプラスに。しかしすこぶる調子いい状態です。

服との関わり

服に纏わる最初の思い出は幼年期。何歳だったか定かではありませんが、叔母に濃紺のポロシャツを買ってもらったこと。
そのポロを見た瞬間「これ、自分に似あう!」と直感した記憶があります。

服に対する感覚

服のセンスというものはDNA遺伝子によるものというよりは、親から与えられた衣服がまず根本にあるのだと思います。
自分で選ぶ機会がまだない時期には与えられたものを素直に着るものです。
肌触りの良し悪しを敏感に感じ取って、着る服を選り好みするようになってきます。

【管理人の場合】

母方の祖父が服飾関係の仕事をしていたのでその子供服を着ていました。小学校時代はウールの半ズボンがチクチクして苦手でした。母親は「よそ行き」として着せたがりましたが嫌がるので無理強いしなくなりました。

ニット製のシャツはお気に入りで、色違いをほぼ毎日素肌に着て通学していました。密かに好意を寄せていた女子生徒も似たシャツを着ていたことが忘れられない思い出。

思春期のファッション

学校に通うようになると美術の授業などの教育からも多少影響を受けるようになります。しかし思春期は芸術文化からの影響が最も強く、以降の好みの基礎的な嗜好となって残っていくものだと思います。

音楽、映画、舞台演劇、舞踏など様々なアート、カルチャーからそのエッセンスとともに着用された衣装に注目。それらの衣装(衣服)はそのエッセンスを的確に表現していると感じると同時に自分にふさわしいファッションスタイルだと感じ、取り揃え、装うことになります。

【管理人の場合】

夭逝した俳優ジェームス・ディーンに憧れたのは十代の頃。その体躯と顔立ちが放つパーフェクトなバランスの美しさに衝撃を受けました。写真集を眺めたり模写したり、関連本を読むことが当時の私の唯一と言っていいほどの趣味でした。
リバイバル上映の映画館を巡ったり、セリフ入りのサントラ(サウンドトラック)テープを繰り返し聞いては真似てみたり・・

十代なので洋服の好みにも当然J.DEAN(ジミー)が影響してきます。彼の写真集のスナップショットから私服のテイスト(趣向)を自分なりに受け止め、意識しないままに服選びの基準になっていました。

なので派手な柄物は避け、無地で渋い色一辺倒というたいへん偏ったワードローブになっていました。
弱冠24歳と言うという若さで逝ってしまったジミー。(『ジャイアンツ』の撮影終了後の1955年9月30日、自動車レースに向かう途中、対向車と衝突。即死。)
代表的な出演作品
エデンの東 East of Eden(1955年)
理由なき反抗 Rebel Without a Cause(1955年)
ジャイアンツ Giant(1956年)
三作すべて大ヒットとなったが、もし以降も活躍し、収入を生活や趣味に注いでいたとしたら彼のテイストはどんな風に変わっていったのだろう。彼が修行したアクターズスタジオの同期にはポール・ニューマン、マーティン・ランドーが名を連ねる。

大人のファッション

大人になってからは旅や交流から得た見聞、好奇心から探りだした知見がモノを言います。
自分に似あうものをどれだけ知っているかによってセンスが磨かれ、自己イメージが完成するのだと考えます。

服のセンスは経験によってその都度磨かれ続けていくものです。

管理人の場合

独学・乱読の徒であることを良しとしているので、自分勝手で幸福な乱読による学びが続いています。
乱読とは言ってもなかなか侮(あなど)れないもので、意外な良書に出くわすことも多々あります。学校教育で押し付けられるものとは違い、気が向くものだけを手にして読み始めることにはいつも「歓び」を感じます。嬉々として取り掛かるのです。この偶然の出会いから得た理解は脳裏に統合され、ふとした瞬間にうまく生かされるという寸法です。
仕事は読書の合間の時間つぶしという逆転状態はおすすめできませんが。とにかくテレビや新聞雑誌では得られない知識は貴重です。

ジュエリーとの関わり

仕事が定まらず転職を繰り返しながら一番続いたのは宝飾品の卸営業と販売です。複数の会社で営業やデザイン、小売販売を担当しました。
商売のかけ引きにはまったくの素人。多少デザインができるだけの私に仕事を任せてくれました。ありがたいことです。

オーダーデザイン第一号(アメジストのブローチ)

好意を持って人と接する対面販売(小売りやオーダーデザイン)は楽しいものでした。話しているうちに何となくその人の好みが理解でき、似合うであろうジュエリーが決まってきます。

真剣に取り組んでいた時期もあったのですが、結局仕事は会社の利益追求を手伝う時間と労力の提供、自分にとって得るものはあまりありませんでした。さまざまな業界の方や顧客との交流と業務の進行に携わる経験はそれなりに人として学ぶことも多くありましたが、会社と言う甘えの構造の中で腐ってしまった人間に接する場面もありました。客観的に見れば憐れとというしかありませんがどの業界にもいるものかもしれません。
まあ自分も偉そうなことは言えません。叩けばホコリが出ますから。

宝石というモノに触れ、さまざまなデザインを目にすると自ずと美しさに対する拘りが生まれます。エンドユーザーは多様なバリエーションを見たいと思っているわけではないでしょう。知りたいのは自分に似あうデザイン。優れた美しい質とデザインのジュエリーです。その点で優れたジュエリーは驚くほど少ないのが実情です。
自分のセンス、ジュエリーを見る目には絶対的な自信がある(!)ので独立して個人でしばらく営業していました。

宝飾業界の問題点

なんでもリサイクルで利用するいまの時代、ブランドバッグなどと同じようにジュエリーもリサイクル市場に多く流通しています。
昔から中古品や倒産品などが出回る「市」(いち)はありましたが、消費者が購入して手放した膨大な数量の貴金属品が買い取られ、そのまま中古(ユーズド)品として再販されたり、宝石を金属の台座からはずして業者から業者に売りさばかれます。

新品、エンドユーザーの手には渡っていない新古品、未使品だと主張される商品、もう何が何だかまったく理解できません。知る手立てはありません。最も固く丈夫な鉱石であるダイヤモンドは洗浄されて新しいリング枠にセッティングされれば新顔で店舗に並ぶことになるのですから。もちろん鑑定書付きで。

「査定の名人」の一括査定は、あなたの代わりに買取業者と交渉します
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ダイヤモンド鉱山から原石発掘から研磨を経て初めて世に出回るダイヤは限られた一部のサイトホルダーによって日本に持ち込まれます。これこそ正真正銘の新商品と言えますが・・
※サイトホルダーとは、ダイヤモンド原石供給元(デビアスグループなど)から直接原石を取引できる資格のこと

サイトホルダーは国内に持ち帰ってカッティング、研磨処理(海外でも)を施して仲間や取引先(ブランド・小売り店・卸会社など)に卸す。
入手した取扱い業者がそれらを枠に留め、製品化して売り場やネットショップでわたしたちが目にする。

うちは「初めて世に出るダイヤしか取扱いしていません。」と言われたとしても取引は目に見えない。大量に出回る中古モノが見た目で判断できない以上疑いは晴れません。ダイヤの出所(でどころ)を追求することは不可能です。

ホープ、サンシー、リージェントなど数十カラット以上の所有者に不穏なことが起きると言われる有名ダイヤモンドは1人の所有者に留まっておらず、転々としているのですが、一般的な数カラットのダイヤもそれと同じように考えるべきなのかもしれません。
気にしない方もおられるでしょうが、たとえばブライダルで中古ダイヤのリングを販売することなる可能性を考えただけで自分はいたたまれなくなる。そんな事情でジュエラーとしての活動はほぼ休止しています。

カジュアルなデザインジュエリーでは気にせず着用されるひとは多いと思います。ジュエリーもサステイナブルで考えないといけないのかも。

ファッションブログ

この年齢になると(1960年生まれ)服や靴には自分なりのテイストがあります。服選びの参考にするのは海外の熟年俳優です。十代からミーハーであることは変わりません。
ただし、さまざまな国の代表的な俳優たちなのでお国柄が窺える独特のコーディネートも参考にするところです。

ワードローブに無かったアイテムを購入するというのは楽しいものです、2020年夏はエスパドリーユを始めて買いました。なかなか履き心地よく気に入っています。お気に入りでワードローブを充実させたい。その辺の目利きには自信あります。捨てたくなるようなものは買いません。

サーバトラブルによって一旦振り出しに戻った当ブログですが、少しづつコンテンツをアップしていきますので、時間がある時に見てやってください。