ダンディとは
ボウ・ブランメル像
紳士服小売店が集まるストリート、ロンドンセントジェームズ地区ジャーミンストリート
ダンディ”DANDY“の意味するものが大多数共通の認識であると言えるのかどうか。
「ダンディ」は風貌についての形容詞であると同時にライフスタイルを含む特異な存在感を表現する呼称でもある。
貴族的超越的存在感。
ダンディ(な人物)は中世貴族のように富裕層に属し、独自の悦楽を堪能する時間を持ち合わせた存在である。
着飾るというよりも質素かつディテールに徹底的にこだわったいでたち。
加えて自由人であること。
一般的に言うところの「ダンディな人」とは少し違うニュアンス。
文献から紐解く”ダンディDANDY”
文献からはより排他的で、芸術的に生きるという困難かつ興味深い欲求が見られる。
”ダンディDANDY”
19世紀初期、イギリスでジョージ・ブランメルとともに誕生。
フランスではシャルル・ボードレールとバルベー・ドールヴィイ(著書『ジョルジュ・ブランメルのダンディズム』1844年)がダンディの理論家として登場。
イタリアではダヌンツィオの行動にダンディとしてのスタイルが見られた。
19世紀末、オスカー・ワイルド、ビアズリーによってダンディが実践されることになる。・・・
「そしてつまるところは、よい趣味を働かせるほかには職業のない男、こうした男は常に、どんな時代にあっても、際立った、人とはまったく別物の、風貌をそなえていることだろう。
これらの者たちは、自分の身の中に美の観念を培養し、自分の情熱に満足をあたえ、感じ、そして考えることの他には、なんの本職ももたない。・・・
何よりもまず品位を重んずる彼の目から見れば、身だしなみの完璧とは絶対的な単純こそ品位をもつための最善の道である。」
ボードレール『現代生活の画家』
ボードレール批評〈2〉美術批評2・音楽批評
(美の歴史ウンベルト・エーコ より抜粋)
仮装趣味よりも節度を尊び、反順応主義にも品位を尊ぶ。
有閑階級に属したいという願望
「芸術的感興によって、しかもそれのみによって人生を作りあげること。」
<ポール・ブールジェ>
往々にしてダンディは、人生は何より一個の芸術作品として生きるべきだと考える人々と意見を共にしている。
優美な仕草、当意即妙の才、威厳の在る態度、さらには人生全体の様式をいかに芸術の規則にまで高めるか
純粋な創造行為、いささかも武勲に依らぬ英雄性、身分を必要とせぬ高貴さ、追従せずして人の心を惹く魅力。ここから刺激的な、しかも威圧的な、一種の美が生まれる。
ダンディは目立たねばならない。だが見えすいた手段に頼って目立とうとしてはならないのだ。
「ダンディの美の特質は、わけても心を動かされまいとする不抜の決意からくる冷ややかな様子にある。外から透けて見える潜んだ火、とでも言うべきか。その火は、輝くこともできるのに輝こうとしないのだ。」
<ボードレール>
ダンディは・・くさぐさの情念や仕事に身を引き裂かれはしない。
生涯が不断の自殺であっても、めったに本物の自殺はやらない。
<サルトル>
(ダンディの神話 (1980年) (1980年)E・Carassus(エミリアン・カラシュス)著 山田登世子訳 より)
さかしま (河出文庫)ジョリス・カルル・ユイスマンスのデ・ゼッサントもダンディのひとりと言える。
デ・ゼッサントのモデルはロベール・ド・モンテスキュー(フランスの詩人 1855年 – 1921年)であるらしい。
ダンディ創始者ジョージ・ブライアン・ブランメル
George Bryan Brummellジョージ・ブライアン・ブランメル
1778年6月7日生 1840年3月29日没
通称 ボウ(BEAU=美しい)ブランメル
趣味の判者
ダンディ創始者
後のジョージ4世とは知己の間柄。
社交界では男性からも女性からも憧れの対象だった。
派手ではなく、地味な出で立ちだけれども小物使いに抜きんでていた。
他者の着こなしへの辛辣な評価も話題だった。
社交界での毒舌ぶりは唯一の著書Male and Female Costumeで発揮している。
「ブランメルは家柄がいいわけではないが、貧しさに負けるタイプでもまったくなかった。人生を楽しむ十分な術をこころえていたといえる。1790年にイートン校に送り込まれるが、そこでおしゃれブランメル(ボウ・ブランメル)の名で通るようになる。」
「実にしまりよく、しゃれていた彼の服装はイギリスの狩りの従者のいでたちであった。その点は承知しているが、もっと大事なのはこういうことだ。それは、ブランメルの重要性を理解しようと思ったら、彼が描いた改革というものが必然的に貴族社会にたいする陰謀であったことを認識しなくてはならない。ブランメルは、貴族社会の時代が過ぎ去り、次の上流階級の時代の到来を、肌で感じていた、すなわち十九世紀に突入したのである。これは少なくとも、来たるべき百年間のヨーロッパ全体の男性ファッションの核心にブランメルが触れたということだ。」ジェームズ・レーバー『ダンディーズ』1968年
・・ブランメルは専属の仕立て屋(テーラー)に、自分のテイストとイマジネーションを生かした衣服をあつらえさせた。彼の好みがはっきりしていたからこそ、よい色を選び、フィットした服を選ぶことができたのである。イマジネーションを働かせ、当時の社交会に受け入れられるスタイルをあれこれ考えたであろうし、またたぶん直感でその後に続くものを予想しえたのであろう。・・」
ブランメルの風貌
若かった頃の彼の風貌は実際どんな様子だったのか想像がつかない。鉛筆画のようなイラストレーションも数点あるが、顔つきがまったく違うので弱ってしまう。
晩年の写真なら伝記の表紙になっているものがある。
ブランメル閣下の華麗なダンディ術 英国流ダンディズムの美学 / 山田勝/著
『・・コレクションは嗅ぎ煙草入れ
下僕のセレギューは1830年に彼と別れ、パリでコーヒーショップを営む・・』(「ボウ ブランメル」堀 洋一著 絶版 より)
書こうと思えば書けたジョージ4世の裏話を胸に収めたのには感心する。
まぁ、ジェントルマンはそんなことしないか・・
まとめ
社交界に登場したひとりの男が独自の着こなしによってメンズスタイルに影響を及ぼしたのですが、そこには大多数に受け入れられた流行に対するアンチテーゼがあって、男性はひとり一人が自身のスタイルを発見し、維持するべきではないかと考えます。そうすれば流行から採用するものはそう多くないだろうし、お気に入りを大切に愛用し続けるだろう。SDGs(エス・ディー・ジーズ)に適応した消費にも繋がっていくと思うのです。