服の影響力・記憶ブルネロ・クチネリの商品寄贈プロジェクト
幼い頃の服の記憶
幼い頃の記憶は曖昧なものですが、ところどころ鮮明だったりします。
幼少期の服の記憶はそう多くはありません。
わたしの服に纏わる最初の記憶は小学校に通う前に遡ります。叔母に連れられて大阪のある百貨店に行きました。買ってもらったのは濃紺色のポロシャツ。
叔母の選択は的確だったに違いありません。まだ四つか五つなのに、目にした瞬間「自分にぴったりじゃないか!」と感じたように記憶しています。いや、後々みんなから殊の外褒められて記憶がそのように統合されたのかもしれません。
とにかくその記憶は未だに自分の服選びの底流にあって、常にネイビーカラーのシャツはワードローブに複数枚あるし、ショップで変わり種を見かけてもチェックしてしまうし、映画スターのスナップ写真やファッションフォトで目にすればじっと見入ってしまいます。
ブルネロクチネリの賢明なプロジェクト
イタリアの第一線のファッションブランド「ブルネロ クチネリ」がコロナ禍の販売不振により売れ残った商品を寄贈するというプロジェクトを発表した。
クチネリ会長兼クリエイティブ・ディレクターは今回のプロジェクトに関して、素材のサプライヤーや職人の思いを尊重し、品質や価値を守るために、売上金ではなく商品そのものを寄贈することを決めたという。「このプロジェクトにより、何らかの意味において人間の尊厳が高まり、これらの衣服生産に携わった全ての人をたたえることができるのではないかと思う。私たちが何年も続けてきた、商品を修理・回収・再利用というサステナビリティを目指す一大プロジェクトの実現へとつなげていく」とコメントしている。(2020/07/22 WWDニュースより)
この上なく賢明なプロジェクトだと言える。販売不振による余剰分を寄贈することで他ブランドとは異なる社会貢献をなすことになる。
極上品質の素材でスタンダードなデザイン。アースカラー(空・樹木・砂など自然の色)の抑えた色彩を中心とした優秀な服を無償で得ること。そのこと自体この上ない恵みとなるでしょう。こういった本物のブランド服を纏う機会は稀なことなのだから。(高額商品という意味)
「理事会が衣料を必要とする人や団体をグローバルに選定する」という寄贈先では品格ある服装教育がおこなわれることになる。寄贈を受けた人々は職人技とデザインセンスを無意識裏に学び、優れたファッションと劣悪なファッションを取捨選択することができる目利きとなるに違いない。
【追記】見た目を気にしないという文化
見た目をどのように気にするかは文化文明によって異なるに違いない。文明を押し付けたところでその価値を理解するのは数十年を要するか、あるいは永遠に無視されるかもしれない。
人々の集合的DNAによって着る服に関する反応は大きく異なることは想像に難くない。
評価があるとすれば想像するに、肌触り・着心地(動きやすさ等)の善し悪しという点に関するところなのかもしれない。
というわけで正しい判断などできないというのが結論です。